例によって目が覚めた夜明けの晩

urbanwaste.exblog.jp
ブログトップ
2015年 02月 25日

読書

d0139736_22254755.jpg

帰れなかったドイツ兵 / 新井恵美子

閑話休題、というわけでもないがあまり楽しい内容の本を読んでないので、少し気分を変えるためにこぼれ話的な本を探しており、ちょうど近々箱根の温泉にでも行こうかとも考えていた時に箱根関連の本を見つけたので読んでみた。1942年11月、横浜港に停泊していた3隻の外国船が爆発事故を起こし、乗組員であったドイツ兵100名あまりが本国へ返る術を失い、その後4年に渡り箱根の温泉旅館で過ごしたという記録。1942年の11月というと、日本は同年6月にミッドウェー海戦で敗北、8月にはガダルカナル島に米軍が上陸し、快進撃を続けてきた太平洋戦争の先行きに陰りが見え始めた 時期。しかしまだまだ国民は勝利を信じて日常を過ごしていた。さて、まず横浜港での船舶の爆発事故だが、停泊していたドイツのタンカーが爆発炎上し、それに巻き込まれる形でドイツの仮装巡洋艦と、それに拿捕されていたオーストラリア船も炎上したとのこと。仮装巡洋艦って知らなかったんだけど、見た目は一般の船に偽装しながら大砲などを備え、敵国の船を見つけると襲撃し物資を獲とくしたりなどしていたんだとか。なかなか卑怯な戦法ですね。爆発事故は死者100人以上の大惨事だったが報道管制により当時は詳細が報道されることはなかった。連合国のスパイによる破壊工作とも噂されたが、真相は今もわからず、まぁやっぱり事故だったんじゃないかと。そんなわけで諸々の経緯を辿り、箱根の温泉旅館に大量のドイツ軍人がやってくる。当時の日本の田舎に、見たことも無いガイコクジンが大量に~、なんて思ってたけど、ドイツと同盟関係にあった日本には意外にもたくさんのドイツ人が居住しており、箱根にも小規模ながらちょっとしたドイツ人コミュニティ的な居住区もあったとのこと。ほ~。さて、ドイツ兵はいわば「お客様」であり、食料は海軍から支給されるので食うものにも困らない、そんな中でも軍隊的な規律を維持し、旅館内でも水兵の制服に着替え、朝の挨拶は「ハイル・ヒットラー」、しかし行動範囲は制限されていたとはいえ比較的自由も許されていたようで、買い物にいったりパンを焼きにいったり、時には地元民のために池を作る工事を行いお礼に日本酒を貰ったりなど、そんな日常を過ごしていた模様。制服姿で神社に戦勝祈願に行ったり旅館の従業員の女性たちと楽しそうに写っている写真など残されていたりします。旅館の従業員や学童疎開の子ども達とも交流を深め、遂に旅館の息子が出兵の日にはドイツ兵総出で「生きて帰って来いよ!」とお見送り。なかなかの心温まるヒューマンドラマ。いつ終わるとも知れない抑留生活で望郷の念を募らせていたとはいえ、その後の本国の惨状を考えると大戦中のもっとも過酷な時期を箱根で平穏に過ごした事は、悪くはなかったのかもしれない。終戦後は連合国の捕虜扱いとなりMPの監視下に置かれ、敗戦処理のごたごたにより帰国したのは終戦後しばらくたってから。その後も細々ながら旅館の息子とは交流を続け、四十四年後、すっかり初老の老人となった数人のドイツ兵たちは再び箱根を訪れる。この事は当時けっこう大きなニュースになったらしく、日本のテレビ番組でもその様子が取り上げられたようです。そんな感じの、戦争の大局には全く関係ないが、それでも戦争が生んだちょっと奇妙な物語。尚、箱根で過ごしたドイツ兵のうち1名だけ、メチルアルコールの摂取により命を落とした水兵がおり、そのお墓は今も箱根の集落にひっそりと存在しているとのこと。箱根にいったら尋ねてみたい気もする。
[PR]

by yoakenoban_2 | 2015-02-25 22:22


<< 読書      読書 >>