例によって目が覚めた夜明けの晩

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2015年 02月 26日

読書

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フィリピンの血と泥 / 熊井敏美

戦争中、フィリピンでのゲリラ討伐名目の日本軍による虐殺に関する本を読んだが、では日本軍にとって実際のゲリラ戦はどういうものだったのか?と思い本書を手にとってみた。占領直後のフィリピン/パナイ島へ将校として派遣された著者が3年間に渡るフィリピンでの戦闘の記録を綴った本。フィリピンの首都マニラがあるルソン島では、日本軍が劣勢となる戦争終盤に大掛かりなゲリラ討伐が行われた。虐殺に遭遇したフィリピン人の証言にも「戦争が終わりの頃にそれまでは優しかった日本軍が突然狂暴になった」というようなものがポツポツある。「ビルマ地獄、ジャバ極楽、マニラ享楽」という言葉があるようにマニラはネオンサインのギラつく猥雑な街で、日本軍将校も米軍が上陸する直前まで享楽に耽っており、戦争終盤になり情勢が変化していった節がある。では本書の舞台となるパナイ島はどうだろう。元々パナイのゲリラはフィリピンで一番勇猛というような話しもあったようであり、加えて米極東軍は日本軍侵攻時にパナイ島では本格的な戦闘を行う前に降伏しており、それに伴い多くの現地人兵士が武器を持ったまま軍隊を離脱し、そのままゲリラと化していった。その結果、日本軍は占領当初から度々ゲリラの襲撃に悩まされ、何ヶ月にも渡るゲリラ討伐が強行され、終戦までの3年間、ほとんど終始戦闘に明け暮れる羽目になる。通常は大きな作戦も何ヶ月単位で終了することが常だが、ここまで日常的に戦闘を行っていた例はあまりないのではないだろうか。著者も後書きで、戦闘回数のみでいえば自分の部隊は太平洋戦争のレコード・ホルダーであると記述している。文章は淡々としているが、日常的に発生する出来事のテンションが凄まじい。ゲリラは待ち伏せや地雷で日本軍を攻撃し、殺した日本兵の首を切り落とし晒し者にしたり、戦死して埋葬された日本軍兵士の遺体を掘り起こし見せしめとして川に投げ込んだりする。あるとき、新しく着任した軍司令官がパナイ島に視察に訪れる。現地守備隊の反対を押し切り高級車で視察に出向いた司令官は案の定ゲリラに襲撃され、命は助かったもののその責任を問われ現地の責任者は左遷、以後、徹底的なゲリラ討伐が命じられることなになる。ゲリラ容疑者を捕らえては拷問し、当初は収容し切れなくなったゲリラ容疑者はやむなく釈放していたが、釈放された者が凄惨な拷問に憎しみを募らせ本当にゲリラに加わり襲撃を先導したりする事が続いたため、そのうち捕らえた容疑者を次々と処刑していくことになる。日本軍とゲリラは復讐が復讐を呼び、凄惨な殺し合いへ発展していくことになる。この様子を著者は次のように書いている。「これに対するゲリラ側の仕返しも、これに輪をかけて残虐をきわめてきた。双方の憎しみが高まるにつれ、われわれもゲリラ側も祖国防衛とか、聖戦とか、大東亜共栄圏とかの崇高な戦争目的を離れ、ただ一人でも敵を倒すことに全力をあげるようになり、パナイ島は人殺し、殺戮の島と変わっていった。このため双方ともに常識では考えられない、常軌を逸した行き過ぎが数多くあった」。このような経緯でパナイ島では恒常的にゲリラの討伐が行われるが、一般住民が日本軍とゲリラの板ばさみとなる。ある村ではなかなかゲリラの情報を喋らない村人に痺れを切らした大尉が見せしめとして村民の首を切り落とし脅しをかける。フィリピン人へ「キャプテン・ワタナベ」の悪名を馳せたこの大尉は民間人だろうが女・子供だろうが次々と日本刀で首を撥ね殺してしまう。しかし潜伏作戦を取るゲリラ幹部の逮捕はままならず、その間にもマッカーサーから潜水艦で支援物資を受け取っていくゲリラの装備は徐々に強力になっていき、45年3月に米軍がパナイ島に上陸する頃には、大砲こそ持たないものの、日本軍を遥かに凌ぐ火力の装備となり最早正規軍隊のそれになっていく。米軍上陸後、米軍とゲリラ双方に追い詰められる日本軍は、この時期のフィリピン各所で行われたのと同じく、山中に転進。その過程で在留邦人の集団自決などの悲劇も経て、やがて山の中で終戦を迎える。日本兵の終戦の受けとめ方は各人各所でそれぞれ違った反応があったようだが、パナイの山中では3年間の戦闘に明け暮れた徒労から、誰もがホッとした表情になりその後は明るい雰囲気すら漂ったという。その後は例によって現地民に石を投げつけられながら米軍へ投降し、著者の部隊からは著者を含め10数名が2000人の住民殺害の容疑で戦犯裁判にかけられ、数名が刑死することになる。尚、もっとも果敢にゲリラや住民の殺害を行ってきた「キャプテン・ワタナベ」こと渡辺堅吾大尉(最終階級・少佐)は終戦前にフィリピンの別の戦地で戦死している。著者は重労働25年の刑を受け、巣鴨プリズンで服役、1950年に朝鮮戦争が勃発するとアメリカの対日政策が路線変更され戦犯が次々減刑されてゆき、著者も1954年にようやく釈放の運びとなる。それにしても、このパナイ島の戦いはネットで検索しても全く情報は出てこない。この本にしても、1977年に出版され、アマゾンでは数千円の古書が1冊売ってるのみで入手はほぼ不可能、図書館で借りるしか読む術はない。大岡昇平「レイテ戦記」のように名著として文学の歴史に残ればよいが、そうでない戦いは多数の無残に死んでいった人々の無念など意に介さず最後は歴史に消えていってしまう。戦争というものは本当に無常だ。
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by yoakenoban_2 | 2015-02-26 23:34


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