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例によって目が覚めた夜明けの晩

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2008年 03月 02日

ハードコアとは何か?Vol.1

俺がどういう人間で、どういう思想背景があるのかを知らない読者のために、まずは自己紹介させてもらう。1969年、ワシントンDC生まれ。両親はヒッピー/バイカー/ドラッグ・カルチャーにどっぷり浸かっていて、親父は刑務所を出たり入ったり、お袋はスピードと東洋神秘主義にのめり込んでいた。DC郊外で育った俺はパンクに目覚め、83年にはギグに足を運ぶようになった。その頃の俺はDCストレイト・エッジとUKアナキスト・パンクに夢中で、Positive Force DCを初めとした地元のアナキスト/動物権利擁護団体の活動にも参加していたが、88年にミネアポリスに移住。Anarchist Youth Federationなどいくつかの組織やファンジン"Profane Existence"の活動に携わるほか、88年から93年までバンドDESTROY!のシンガーとして活動。ミネソタ大学で歴史の学士号を習得。現在は家の改築を生業とする一方、Havoc Recs & Distoributionの運営、バンドCODE-13のシンガーを務め、レコード店"Extreme Noise"を手伝い、ミネアポリスでのオール・エイジ・ショウのブッキングも行っている。趣味はレコード収集、女、バイク、ガン、コミックブック、スターウォーズなど。人生の友は現在7歳のドーベルマン犬、Attila Von Havoc。これが俺だ。

95年6月23日、24日と俺はオハイオ州デイトンで開催されたフェスティバルに参加した。これはアメリカン・インディアン・ムーブメント(AIM)の活動家であり、政治犯として収監されているレオナルド・ペルティエに対する認識を高め、支援基金を募るために開催されたものだ。LOS CRUDOS、AUS-ROTTEN、FINAL WARNING、MANKIND?、WARPATH、CODE-13、STATE OF FEAR、ASSRASHなどのバンドが出演し、450人~500人が集まった。Anti Racist Actionがビデオを上映、バンド演奏も良かったし、ペルティエ救済基金に2000ドルが集まった。

だがここにポイントがある。LOS CRUDOSのMartinが言う。もしこのイヴェントがペルティエ支援の単なる行進や集会だったら。今回集まった人間のうちのどれだけが来ただろうか。多分1%ぐらい?ポジティブな見方をすれば、不正に投獄された人を支援するためにこれだけの人を集められるというパンク・ミュージックの持つ力を象徴する出来事だと言える。実際レオナルド・ペルティエのことなど聞いたこともなかったようなキッズがバンド目当てにやってきて、この事件について初めて知ったということもある。メイン・ストリーム・メディアは十分な情報を流していないのだ。一方で、悲しい現実もある。この日集まった人間の多くは恐らく今もペルティエが誰だか分かっていないということだ。パーティーやって盛り上がった、おしまい。バンドもメッセージも二の次。このフェスティバルは80年代の"ロック・アゲインスト・レーガン・ショー"というよりは"クラスティ・ウッドストック"という感じだった。皮肉な見方をすれば、キッズが分かっていようがいまいが、とりあえず金は集まった。認識を高めることではなく、基金を募るというのが目的だとしたら、このイヴェントは成功だった。

ペルティエに関して最期にひとつだけ言っておきたい。レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンがペルティエ事件を素材にビデオを制作したらしいが、メジャー・レーベルのバンドの"政治的見解"なんかをシリアスに受け取るやつがいると思ってんのか?そういうバンドは、ペルティエのような人間を投獄したままにしているこのシステム一部でもある。そういう"政治的見解"とやらは所詮クソみたいなマーケティングとパブリシティの産物に過ぎない。メジャー・バンドは黙ってクサと悪魔と愛の歌でも歌ってろ。

ショウの話しに戻るが、あれだけの人が集まり熱狂したということは、パンクはいまだ死んでなんかいないし、すごいバンドもまだまだ沢山いるということだ。でも、ポリティカルな意識はどこへ行った?反逆心は?俺がパンクにのめり込んだ80年代、俺も何かに参加しているんだという意識があった。何か危険で反抗的なものに俺も関わっているという実感。ハードコアには憤怒と激情と緊迫感があった。どのバンドもデカい音、激しいスピード、そして言うべき言葉を持っていた。ハードコアはブルータルでオネストでロウでポリティカルだったのだ。あの時の怒りはどこへ行った?今ショウに行って見かけるのは、怠惰で破滅的なのがヒップ/ヒッピーでオルタナティブな生き方だと勘違いしたドランク・クラスティーズか、ステューシーの服が高すぎるってこと以外に反抗するものを見出せない、こざっぱりしてファッショナブルなパンクスだけだ。こういう奴らに世界を変えられるか?否。

パンク/ハードコアのピークは1984年だと俺は思う。あの年にDK'Sやブラック・フラッグ、MDCのショウに行った奴ならわかるはずだ。確かに今はアンダーグラウンドなレコードもレーベルも増えた。だがシーンはより細分化され薄まった。ちょっと人気が出るとバンドはすぐにメジャー契約し、使い捨てのクズ音楽をやりだす。そして直視しなければいけないのは、パンクは明らかに本来持っていた怒り、パワー、ヴァイタリティ、そして、ポリティカルな姿勢を失いつつあるということだ。"パンク"とラベルの貼られたポップ・ミュージックもどきのゴミを、多くのキッズがショッピング・モールで買いあさる。悲しいジョークだが、これもいつかは鎮まる。10年もすればグリーン・デイやランシドも、今のカジャグーグーやフロック・オブ・シーガルズと同じ程度にしか相手にされなくなる。冷戦は終ったかもしれないが、80年代に俺達が直面していた問題は消えてしまった訳じゃない。だが今のバンドもキッズも、それに対して無関心な"レッツ・パーティー"的なアティテュードがあるだけで、社会批判も政治的行動もおこさない。

アンダーグラウンド・シーンは経済的な側面でも進化を遂げてきた。DIY精神が根付き、レーベル/ディストリビューターも着実に活動を続け、多くの人間がオール・エイジ・ショウを企画し、しかもバンドにギャラを払えるだけの成功を収めている。だが反面、アンダーグラウンドをメジャーへの踏み台にするバンドも多い。大企業によるパンク・ブームの陰で、本物のインディペンデント・ミュージックが根付いていくのは喜ばしいことだが、その内どれだけがちゃんとしたメッセージを持っているのかは、あまり問われることがない。怒り、エナジー、反抗心はどこへ行った?今こそ取り戻せ。

DOLL誌1996年4月号に掲載された「ハードコアとは何か?VOL.1」より転載。(HeartAttaCk' zine #6に掲載されたコラムの和訳。原題はThe End Of Civilization As We Know It)


上記は10年以上前のDOLL誌に転載されたアメリカのハードコア・ファンジン「HeartattaCk」の記事。書いているのはDESTROY!、CODE-13、DAMAGE DEPOSITなどでシンガーをやっていたFelix Havocです。この初めの記事から数年間、DOLLにはFelix Havocのコラムの和訳が転載されていました。Havocの考えは過激で偏りがちで、思い込みや偏見が含まれている場合もあるので、彼の考えには賛同できかねる部分も多々あるのですが、読み物として今読んでも十分面白く、色々考えるきっかけをくれたりします。当時のDOLLで一番面白かったのは間違いなくこのHavocのコラムの和訳でしょう(笑)。

Havocのコラムの転載がなくなってから数年たつし、周りではDOLLを全く買ってなかった人や売ってしまった人ばかりだし、そもそも若い人はそんなに昔のDOLL見たことないだろうということで、暇なときにこのBlogに転載していこうかと思います。

元々はn君がDOLLのこのコラムだけ集めてファンジンを発行する予定だったそうですが(笑)、どうやら頓挫したようなのでこのBlogで引き継ぐことにしました。埋もれさすには勿体無い内容なので、WEB上で読めるようにしておくのも何か意味があるかなと。

第二回の転載日は未定・・・。

by yoakenoban_2 | 2008-03-02 07:17 | Havoc


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