例によって目が覚めた夜明けの晩

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2015年 06月 08日 ( 1 )


2015年 06月 08日

読書

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普通の人びと -ホロコーストと第101警察予備大隊- / クリストファー・R・ブラウニング

第二次世界大戦下のナチス・ドイツにおける「第101警察予備大隊」、約500人の隊員からなるこの隊に召集されてきたのは、SS(親衛隊)隊員である少数の中隊長などを除けば、大半がトラック運転手や船員、あるいは教師など、様々な職業に従事していた「普通の人びと」。それも、平均年齢も高く、ナチス・ドイツ以前のドイツで教育を受け育ってきた人々が大多数だ。本書は、必ずしもナチスの世界観を共有していない「普通の人びと」が、どのようにユダヤ人の大量虐殺=ホロコーストに関わったかを記している。ホロコーストと聞き真っ先に思い浮かぶのはアウシュビッツ・ビルケナウを始めとした絶滅収容所でのガス室だが、ホロコースト犠牲者の四分の一は銃殺だったとも言われている。ナチス・ドイツの占領地でユダヤ人やパルチザンなどの"敵性分子"の殺害に関わったのは通称"移動殺人部隊"とも呼ばれる、武装SSやSD(保安部)から編成された「アインザッツグルッペン」が有名だが、既にSS指揮下に組み込まれていた通常警察もドイツ国外での任務が課され、おぞましい命令を実行に移す事になる。本書では後半に「普通の人びと」が如何に虐殺を遂行していったかについての心理学的な考察のような記述もあるのだが、やはり戦慄するのは何をどのように行ったか、ガス室以外のユダヤ人の殺害方法、その"行為"そのものについてだ。そしてその"行為"が本書の大半を占めており、それは読み進めていくうちに本当に辟易してうんざりし気が滅入る、まるで他の星や架空の物語の中で行なわれているかのような錯覚にさえ陥るほどの狂気に覆われている。

この「普通の人びと」が関わった虐殺は1942年にポーランドの小さな村が最初だった。部隊を束ねる職業警察官であるトラップ少佐は任務の内容を説明後、辞退したいものはこの任務から外れる事が出来る旨を訓示する。数人の者が辞退を申し出るが、大多数はその任務を遂行する事となる。そして1800名のユダヤ人が労働可能な男性とそれ以外に選り分けられ、それ以外の人々は森の中へ、殺されるために連行されていった。予め医師により、肩甲骨の上、頭と首の付け根あたり、ここを狙えば苦しませずに一発で即死させる事が出来る旨をレクチャーされ銃殺は始まる。余談だがホロコースト関連の映画などを観ると、多くの割合でユダヤ人を地面に伏せさせ後ろから首のあたりを撃って殺害するシーンが出てくるが、これが人間を効率よく殺すための銃の撃ち方だったのだろう。射殺のための銃声が聞こえ出すと、労働可能男性として収容所へ連行されていく人々が、残して来た家族は殺されるのだと悟り、その場に崩れて泣き出してしまう。トラップ少佐は銃殺の現場には現れず、離れた小屋の中で泣きながら神に祈っていたという。初めての銃殺に慣れない隊員は狙いを外し飛び散った脳みそや骨片を体中に浴び血まみれになりながら一日中虐殺を続けていった。中には余りの恐ろしさに任務を放棄し森の中に隠れる隊員や、ユダヤ人を一度トラックで移送しただけで精神が参ってしまい任務を外れる隊員、故意に狙いを外し殺害を行なわなかったり、これ以上続けられないと上官に訴える隊員なども現れ、虐殺作業の進捗に遅れをきたした。それでも大多数の隊員たちは与えられた任務を忠実にこなそうと働き、丸一日虐殺を遂行することになる。その日の任務を終え隊員たちがようやく兵舎に戻ると、神経はズタズタに切り裂かれており、気分を紛らわせるためにアルコールが用意され、多くの隊員たちは泥酔した。その後もこの「第101警察予備大隊」はユダヤ人の殺戮に加担する事になるが、あまりの精神的な負荷から直接手を下す処刑の役割から、処刑場所までの連行や強制収容所へのユダヤ人の移送作業を行なう役割を担ったりもする。部隊がユダヤ人を処刑場所まで連行する時、これを処刑する役割はいわゆる対独協力者と呼ばれた外国人の反ユダヤ主義の人々からなる部隊が行なった。彼らは処刑場所で泥酔しながら処刑を行い、そのためしばしば目標を一発で仕留められず苦しませて殺害した事なども記載されている。ユダヤ人を埋めるための墓穴は膝まで浸かるくらいの地下水と血が入り混じり、死に切れないユダヤ人は墓穴の中でその赤い水に沈んで溺死した。最後に墓穴をシートで覆い隠す作業もユダヤ人が行い、彼らもその作業の後に殺害された。また、強制収容所への移送作業では、街からユダヤ人を駆り集め収容所行きの列車へ追い立てるが、駅まで行進することの出来ない老人や病人、子供はその場で射殺された。収容所への移送作業はこれまで直接銃殺して手を下した何倍もの人数を強制収容所行きの列車に乗せるのだが、この「単なる移送作業」は銃殺に比べ、彼らの心は平穏で乱される事はなかったという。尚、行き先であるトレブリンカ強制収容所では大多数のユダヤ人が到着したその日のうちにガス室で殺され、この収容所の生き残りは僅かしかいない。「第101警察予備大隊」の虐殺が頂点に達したのはその最後の仕事でもあった1943年の、「収穫祭作戦」と呼ばれる、マイダネクのルブリン強制収容所での虐殺への参加だ。収容所の囚人たちは防空壕の名目で巨大な穴を掘ることを命じられ、その後、その中に50人から100人ずつうつ伏せで寝かせられ銃殺されていった。次の囚人はその死体の上に登るよう命じられ、そこでまた銃殺された。この作戦では4万人のユダヤ人が犠牲になったとも言われている。「収穫祭作戦」は強制収容所でのガス室などによる大量虐殺の総仕上げとなる作戦で、この作戦を持ってポーランドはナチスが「ユーデンフライ」と呼んだユダヤ人のいない世界となった。

戦後になり第101警察予備大隊はホロコーストへ関与した罪で告発され、トラップ少佐は戦犯として死刑となった。しかしホロコーストへ関与した通常警察部隊がその罪を問われ裁かれた事例は稀であったという。この「普通の人びと」は虐殺を行っていく過程で徐々にその"作業"に慣れ冷徹な殺人者になっていった。「収穫祭作戦」の頃になると、この作戦については「あまり印象に残っていない」と戦後の取調べで証言する者もいた。著者は、殺害に参加する事を拒絶し、加担しない事が正義であると言う。このような時代、このような状況で、一体どれだけの人たちがそれを最後まで貫く事が出来るだろうか。この殺人者となってしまった人々、彼らは決して特殊な人間ではない、どこにでも居る普通の人びとだった。
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by yoakenoban_2 | 2015-06-08 21:31