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2015年 01月 25日

読書

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殺した殺された / 石田甚太郎

太平洋戦争中、日本に占領されたフィリピンで行われた日本軍による虐殺について、被害者であるフィリピン人と、加害者である元日本兵の双方の証言を纏めた著作。戦争中のフィリピンでの出来事についてはフィリピンが舞台の本や戦犯裁判の本などで断片的に認識していたが、当時のフィリピンで何が起こったのか、教科書にも載ってないしwebにもあまり情報がないので、日本人の大部分は詳しくは知らないのではないだろうか。当事者の生々しい証言を読むに事より、より具体的な状況が浮かんでくる。アメリカの植民地であったフィリピンは太平洋戦争が始まる以前に既に将来の独立が約束されており、日本軍侵攻当初は「大東亜共栄圏」を掲げる日本に対してフィリピンの人は様子を見ていた面もあったようだが、皇民化教育の押し付けやビンタなどの体罰の横行、そして食料は現地自活である日本軍による半ば強制的な徴発などにより日本軍への反発は強まりゲリラ活動が活発化していく。戦争終盤に劣勢となった日本軍は米軍がルソン島に上陸すると米軍とゲリラ双方を相手にしなければならない状況を恐れ、本格的な「ゲリラ討伐」を行うが、その方法はゲリラではない人間も含む無差別な現地住民の虐殺だった。中国の南京でも日本軍は住民にまぎれた敗残兵の掃討のためにほとんど無差別に成人男子を殺害しこれが南京大虐殺に繋がっていくのだが、フィリピンでは成人男子ばかりでなく老人、女性、赤ん坊を含む子供までまさに皆殺しだった。一体なぜ赤ん坊まで殺す必要があるのか全く理解できないが、加害者である元日本兵たちは虐殺について往々にして「命令だから仕方なかった」「負け戦でみんな狂っていた」というような証言をしている。平和な時代に生まれ育ち戦争を知らない自分が彼らを簡単に非難することは出来ないし、その状況になればそうするしか選択肢はなかったのかもしれないが、後ろめたい気持ちを抱えながらも自己保身的な発言を繰り返す様には釈然としないものがある。しかし狂気の戦場から平和な日常へ戻り、心のバランスを保ち生きて行くにはそうやって過去を忘れたりある意味開き直ることしか出来ないのかもしれないと思ったりもする。次から次へと銃剣で突き刺しては井戸へ投げ込み最後は銃剣で刺すのも止めそのまま井戸へ投げ込んで、井戸の中で生き残りがいれば石を落とす・・・という虐殺の様子は戦慄する。終戦直後、捕虜となった日本軍に現地住民は石を投げ付け罵り、敗残兵をリンチして殺すような事もあるぐらい憎悪していたようだが、これでは恨まれるのも無理はない。一方、被害者であるフィリピン人は、勿論日本人に対し怒り虐殺のことは忘れられないと皆言っているのだが、謝罪に来れば今は許すという人が意外なほど多い。カトリックが多く、宗教的な「赦し」の教えに根ざした考えや、また国民性ということもあるのだろうか。同時に、謝罪をするなら補償をしてほしいという発言も多く、日本が行った戦後補償は実際の戦争被害者個人には1ペソも渡っていない事が述べられている。山下大将を始めフィリピンで戦犯となり死刑となった日本人は数十名。虐殺した人数からするとフィリピン人からは到底納得のいかないものだったと思われるが、元日本兵の中にはこの戦犯裁判をいい加減ででたらめなものだと証言する人もいた。実際、BC級戦犯の裁判は欠陥だらけで、無実の罪を着せられた人もいた事は事実だろうが、それを聞いたあるフィリピン人はこう証言している。「マニラで、カランバで、サンパブロやリパの虐殺で、無実の男たちや女や子どもたちを大量に殺す前に、調査をしたのかい?それとも、裁判にかけたのかい?それこそフィリピン人なら誰でも無差別に殺しておきながら、よくもそんな寝言を言うね。」
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by yoakenoban_2 | 2015-01-25 05:39