例によって目が覚めた夜明けの晩

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2015年 08月 10日

ドイツ旅行6 ミュンヘン~ ペルラッハ・フォルスト墓地

ペルラッハ・フォルスト墓地、またはペルラッハ森林霊園、ドイツ語ではFriedhof am Perlacher Forst。そう、お墓です。「白いバラ」メンバーのお墓があるとのことで、このペルラッハ・フォルスト墓地へ赴きました。場所はミュンヘン中心部からちょっと郊外で、日本のガイドブックの地図にはまず載っていないような所でしたが、事前にGoogle Mapで場所を調べていました。ネットの情報によるとトラム(路面電車)の17番で終点のSchwanseestraßeが一番近いとのこと。確かにGoogle Mapでも墓地のすぐ側にSchwanseestraßeのトラム停留所が確認できました。この日は午前中にダッハウに行ったので駅でゾーン2までの一日切符を買っていたので、トラムもその切符で自由に乗れます。一日切符があればトラムは切符を買わずにただ乗り降りすればいいだけだし、歩き疲れた時などにもかなり便利なのでお勧めです。事前にトラムの路線図をダウンロードしていたのが役立ちました。しかし、この墓地に行くときは若干問題が発生しました。トラム17番の終点、ということだったので、17番乗り場がある停留所に行ったのですが、電光掲示板は消えており、何やらドイツ語で表示がされています。iPhoneの翻訳アプリで表示を翻訳するとなんと「廃止」の意味・・・。ダウンロードした路線図にはちゃんと記載してあるのに・・・。その停留所だけが廃止なのかもしれないと歩いて隣の停留所まで行きますが、やはり「廃止」表示。これは17番線自体が廃止なのでは・・・との疑念が沸く。そうなると17番線の終点であるSchwanseestraßeの停留所も廃止になっている可能性がある。そう考え、Google Mapで一番最寄の電車の駅を確認し、UバーンのMangfallplatz駅から歩いて行く事にしました。結果としてはこれが失敗だったわけで・・・。

まず結論を述べると、墓地のすぐ側のトラムのSchwanseestraßeは廃止されずにちゃんとありました。ペルラッハ・フォルスト墓地へはUバーンでGiesingという駅まで行き、同じ場所にあるトラムの35番でSchwanseestraßeまですぐです。ペルラッハ・フォルスト墓地の電車の最寄はこのGiesingか自分が降りたMangfallplatzになるんですが、どちらも歩いて向かうとかなりの距離があります。ただしGiesingからはトラムが出ていますが、Mangfallplatzからは出ていないので歩くしかありません・・・。トラムの停留所で最新の路線図か、Google Mapをじっくり見ていれば最短ルートに気づいたかもしれませんが、単純に一番近い電車の駅で降りよう、としたためにかなりの距離を歩く羽目になりました。あといまGoogle Mapを見るとMangfallplatzで降りたとしてもバスがあるようなので、バスを使えばよかったのかもしれませんが、バスについては全く下調べをしていなかったのでその時点では判断できませんでした。バスなんて東京でもロクに乗ってないしな・・・。臨機応変な対応が出来なかった事が悔やまれます。

さて。Mangfallplatz駅から延々と歩いてペルラッハ・フォルスト墓地へ向かうのですが、この辺は全く観光地ではないのでアジア人なんか一人も歩いていません。道で遊んでいる子供にもなんか見られます・・・。なんだか天気も悪く小雨も時折パラついてくる。ドイツの夏は基本的には暑いんだけど、結構気温が下がることも多く、天気の悪い夜間なんかはわりと冷えたりもします。

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ようやく到着しました。入り口に著名人の墓がどこにあるのかの案内が貼られています。 ここで白バラのお墓の位置を確認。墓地はかなり広いのでちゃんと場所を確認しないと見つけるのは無理だと思います。


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雰囲気ありますね。


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ありました。ハンス・ショル、ゾフィー・ショル、クリストフ・プロープストのお墓です。


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白バラがありますね。両親のお墓も一緒の場所だそうです。



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すぐ近くにアレクサンダー・シュモレルのお墓もありました。こちらは誰かが訪れたなかりらしく、新しい白バラがさされロウソクもまだ燃えていました。


彼らはキリスト教徒ですが、とりあえず手を合わせておきました・・・。


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ロウソクの自動販売機。


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リスがいました。
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# by yoakenoban_2 | 2015-08-10 03:19 | ドイツ旅行
2015年 08月 08日

ドイツ旅行5 ミュンヘン~ ミュンヘン大学-白いバラ

白いバラ(Die Weiße Rose)は第二次世界大戦中のドイツにおいて行われた非暴力主義の反ナチ運動。ミュンヘンの大学生であったメンバーは1942年から1943年にかけて6種類のビラを作成した。その後グループはゲシュタポにより逮捕され、首謀者とされるハンス・ショルほか5名がギロチンで処刑されたため、7種類目の印刷がおこなわれることはなかった。彼らの活動を描いた映画が戦後何度かドイツで作られ、反ナチ抵抗運動として、国際的に知られている。日本では白バラあるいは白バラ抵抗運動などとも呼ばれる。

以上、Wikipediaより。

白バラのメンバーであったハンス・ショルとゾフィー・ショルの兄妹はミュンヘン大学(正式名称:ルートヴィヒ・マクシミリアン大学)の校内でビラを撒いたところをゲシュタポに逮捕されます。仲間のクリストフ・プロープストも逮捕され、数日後の裁判で死刑となり、その日のうちに3人は処刑されました。その後同じく白いバラに参加していたヴィリー・グラーフ、アレクサンダー・シュモレル、クルト・フーバー教授らも逮捕され、全員処刑されました。そんな白バラのショル兄妹がビラを撒いたミュンヘン大学を訪れました。Uバーンに大学駅がありますし、マリエン広場から歩いても十分に近いです。

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隣接する広場はそれぞれ「フーバー教授広場」、「ショル兄妹広場」と名付けられています。


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大学構内です。一般人でも気軽に入れます。


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白バラに関するモニュメントがあります。


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ゾフィー・ショルの像です。小学生の見学?の団体が来ていましたが、一人の女の子が熱心に白バラに関する像などを写真に収めていました。


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吹き抜けの3階の時計下からビラを撒いたと言われています。


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ゾフィーがビラを撒いた3階より。


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白バラに関する小さな展示室が常設されています。入場は無料です。


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かつてミュンヘンに存在したナチス関連の施設。


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白バラのメンバー。フーバー教授以外は20代前半の若さで処刑されました。ゾフィー・ショルは21歳でした。


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外の広場にはビラをモチーフにしたモニュメントが地面に埋め込まれています。


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白いバラは狂気の世界に咲いたわずかな人間の良心でした。
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# by yoakenoban_2 | 2015-08-08 16:00 | ドイツ旅行
2015年 08月 07日

ドイツ旅行4 ミュンヘン~ 国家社会主義資料センター

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初期のナチス党本部「褐色館」の跡地は長らく空き地だったそうですが、2015年から「国家社会主義資料センター(NS-Dokumentationszentrum)」がオープンしました。オープンしたばかりなのでガイドブックやネットにもほとんど情報がありませんでしたが、ミュンヘン版「テロのトポグラフィー」(ベルリンにある資料センター)とも言える、ナチスの歴史と犯罪を伝える資料センターでした。


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展示は「戦後」から始まり、階を上がるにつれて年代が古くなっていきます。戦後の展示では追悼式典や記念行事の様子などが展示されています。ネオナチの事や、極右の青年がオクトーバーフェストで起こしたテロ事件なんかも紹介されていました。また、実際にナチスの時代を生きた人々によるイラストなども展示されており、美術館のような雰囲気もありました。


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展示されている出来事はやはりミュンヘンにまつわる事が中心となっています。あまり見たことの無い写真もたくさんありました。これはミュンヘンの兵士と警察による戦争犯罪。射殺されているのは全員女性です。


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ナチス政権になり報道の自由は奪われていきます。SA(突撃隊)によるミュンヘン新聞社の破壊。


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ゲオルグ・エルザーです。ミュンヘンのビアホールで爆弾によるヒトラー暗殺を試みますが失敗、強制収容所送りとなりました。


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ヒムラーとゲーリングです。このようなイラストや絵もたくさん展示されていました。惜しむらくはあまり写真を撮らなかったこと・・・このイラストの作者名もわかりません・・・。どなたかご存知でしたら教えてください。
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# by yoakenoban_2 | 2015-08-07 00:39 | ドイツ旅行
2015年 08月 06日

ドイツ旅行3 ミュンヘン ~第三帝国の遺跡②

■ケーニッヒ広場

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ナチス時代のケーニッヒ広場。この広場にはナチス党の建物が集まっていました。手前のローマ・ギリシア風の門の奥に左右対称に、小さな神殿と大きな建物が並んでいます。小さな神殿はミュンヘン一揆の死者のお墓を納めた「栄誉神殿」、隣の建物は向かって左側が総統官邸、右側がナチス党本部です。ナチスはミュンヘン一揆で死亡した党員を殉職者としてこの神殿に奉り上げました。また、向かって左側の栄誉神殿の奥にある小さな家のような建物は初期のナチス党本部「褐色館」です。


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ケーニッヒ広場の門。


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栄誉神殿跡。戦後に連合軍に爆破され、栄誉神殿は土台しか残っていません。現在は空き地になっていて草木が伸び放題です。また、栄誉神殿については面白いコラムがありました。→ミュンヘン・路傍の石に秘められた暴虐の歴史


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道路を挟んで栄誉神殿跡の空き地の奥に見えるのが総統官邸。


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総統官邸正面。ミュンヘン会談はこの場所で行われました。入り口の上にやはり鷲の紋章が取り外された形跡があります。現在は音楽や映画関係の施設になっています。
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# by yoakenoban_2 | 2015-08-06 23:07 | ドイツ旅行
2015年 08月 06日

ドイツ旅行2 ミュンヘン~ 第三帝国の遺跡①

ドイツ二日目。ミュンヘンはナチス党発祥の地であります。教会に登ったり、レジデンツという宝物殿?を見学したりなど、普通の観光もしながら、第三帝国の遺跡をまわってきました。この日は遠くに行く予定はないので、電車はゾーン1のみの1日券を購入。ミュンヘン中央駅の券売機はなんと日本語表示が出来るものもあり、楽に買えました。

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マリエン広場。上の写真はミュンヘン一揆の時に広場に到着したナチス党員。


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ユリウス・シュトライヒャーとナチ党の行進。


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ユリウス・シュトライヒャーとナチ党の行進。シュトライヒャーは戦後にニュルンベルク裁判で死刑になりました。


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オデオン広場。ここはミュンヘン一揆でナチス党員と警官隊が銃撃戦となり双方に死者が出た場所です。ミュンヘン一揆はここで鎮圧され、ヒトラーは一時逮捕されました。


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オデオン広場の将軍廊の横に設置されたミュンヘン一揆犠牲者のためのモニュメント。市民はこのモニュメント横を通るときはナチ式敬礼を強要されました。


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ハウス・デア・クンスト(芸術の家)と呼ばれる美術館でこの建物はナチスの時代に建てられました。


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入り口の上の鷲の紋章が外されているのがわかります。
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# by yoakenoban_2 | 2015-08-06 00:18 | ドイツ旅行