2011年 11月 20日
またまた久しぶりの更新です。相変わらずTwitterばかりですがブログもやめたわけじゃありません。先週、震災以降原発事故で揺れる福島県へ行って来たのでまたもや覚書として。7月にボランティアへ行った時も、勿論微力ながら被災地に何らかの助けをしたいという気持ちもあったけど、その他に国難と呼べるほどの被害をもたらしたこの国を襲った震災の現場をこの目で見たいという気持ちも大きくて。 僕は福島の原発事故以降、この国や巨大な権力のシステムとなった電力会社がどれだけ腐っているか嫌というほど見せ付けられ、いまなお危険に晒されている多くの人たちがいる現状とこれだけの大事故を起こしながら改められる気配のない原子力政策に怒りを覚えて、何か声を挙げて行きたいと思い、原発反対のデモなどにもなるべく参加したりして来ました。福島県は母親の実家で子供の頃は毎年夏になると遊びに行くのが恒例だった。絵に描いたようなのんびりした田舎で、山々が連なる美しい日本の風景。今ではその風景に目に見えない放射能が降り注ぎ、子供の頃に見た風景と見た目は変わらなくてもそこがまったく違う場所になってしまったことを考えると、本当に怒りが沸いてくる。自分の地元も福島の上にある宮城県で、かわいがっている小さな子供も住んでいる。もちろん東京だって汚染されているし、食品の放射能汚染はそれこそ全国規模の問題だ。決して他人事じゃない。他人事じゃない、が、あまりに日常通りの東京の風景、相変わらずテレビで垂れ流され続けるバラエティやグルメ番組をみてると、そのことを忘れそうになる。だから一度、機会があれば原発の被災地へ行って、一体そこがどういう場所なのか、この目で見たいという思いがあった。 そんなときに消毒GIGがいわきで開催されるというので、これこそいい機会だと思い、福島へ行くことに。いわきまでは高速バスで行ったんだけど、東京駅から30分置きに高速バスが出ていてびっくりした。そんなに需要あるんだね~。先週土曜日、バスでいわき市へ。いわき駅のすぐ近くにあるクラブソニックというライブハウスで消毒GIG。ついてみるとGAUZEとTOTAL FURYの他に80年代に横浜で活動してたS.V.Sが今晩限りの再結成。 ライブハウス前に制服の女子高生がたくさんいるな〜と思ったら今はいわき市で中学教師をしているS.V.Sボーカル氏の元教え子達で先生のライブを観に来たという(女子高生に話しかけて聞いた笑)。ライブは20数年ぶりとの事。なんともいい話。ちなみにS.V.Sボーカル氏はどこの中学にも一人はいるヤクザみたいな風体の教師でおまけに柔道部顧問でした(笑)。震災でその中学校も被災し、避難所となり、ガーゼは東京のライブでTシャツを売ったお金を義援金としていわきに届けたりしていました。ライブが始まりトップはそのS.V.S。さすがにブランク長いだけあって5曲くらいで死にそうになって歌ってましたがいかにも80年代日本ハードコアな曲でかっこよかったです。ラストの曲は、子供達に線量計が配られてるけどそれで一体何を調べるっていうんだ?のMCと共に、DEAD KENNEDYSのHoliday In Cambodiaの日本語カバー。サビで「かわいそうな子供たち、愚かな大人たち」と叫び歌う。S.V.S終了で高校生たち帰っちゃったの残念だけど(そりゃそうか)、続くTOTAL FURYはキレキレのステージで久々観たけど最高でした。ホカリさん相変わらずハイテンション。今のメンバーでアルバムとか出ないかなー。ガーゼはほぼノンストップでたぶん40曲くらいやったと思う。考えてみると超人的だよな(笑)。シンさんもいつになくテンション高くてちょっと怖いくらい。やっぱり凄いです。福島パンクスも盛り上がってた。でも実は東京でみる顔が結構いたし宮城とかの県外からの人もかなりいたと思う。 ライブ終了後、今夜の宿となる友達が住む南相馬市を目指すわけなんだけど、国道6号が原発20km圏内になり途中で封鎖されているので迂回ルートで。実は通行証があったのでもしかしたら通れたかもしれないけど、夜中になるしあんま宜しくないよねってことで。最近窃盗のニュースとかもあったし。 これが立ち入り禁止区域に進入可能な通行証。もちろん原発作業時以外は使用しません。 で、高速を使って北上して一番近いと思われるインターで降りて山越え。沿岸部に沿って走る6号線が使えないと下から南相馬に行くにはどうしても横から山を超えるしかないので、いま南相馬市の人は凄く不便だと思う。ルートはあれやこれやナビをいじってたら、確か国道399号を通るルートになったと思う。399号線は今回の事故で一気に有名になってしまった浪江町や飯舘村を通るルートで、特に山の中は放射線量が高いて話だったのでガイガーカウンターをチェックしながら走行。途中警察車両も目撃したけど特に何もなく。ある地点からガイガーカウンターの数値がそれまでだいたい0.1μSv/h台だったのが0.5μSv/h〜0.6μSv/hになって、だんだん数値が上がってきたねなんて話を車内で。そして、運転代わろうかなんつって山道で車を停めてドアを開けたら、その途端に数値が一気に2μSv/hを超える(T_T)。これにはさすがに一同びっくり。考えてみたら当たり前なんだけど(笑)。中国産のガイガーカウンターなんだけど、数値の真偽はともかく、高い低いは結構感度よく出るのね、なんて感心しました・・・(T_T)。そこから数字はどんどん上がって2.5μSv/hを超えたところでガイガーカウンターがピーピー鳴り出した。最高13μSv/hまで記録。ナビを見るとNHKの番組で超ホットスポットとして出てた赤宇木の文字・・・。 まさか自分の人生でガイガーカウンターを使うとは、それが映画みたいに閾値超えてピーピー鳴り出すとは震災前は夢にも思わなかった。 たまにニュースで地面とか植え込みでホットスポットが、とやってるときがあるけど、この場所は全体の空間線量でこれですからね。しかも車内でこの数値。外はどんだけなんだよ・・・当然、地面や木の根元はもっと高いんでしょう・・・。はっきり言って立ち入り禁止にしなきゃいけないくらいだと思うんだけど、そうなってないのはたぶん飯舘村や南相馬市へ抜けるルートがかなり限定されちゃうからなんだろうなぁ・・・。 霧のかかる夜中の山道で一見何も変わらない光景のままガイガーカウンターだけがピーピー鳴ってる様は全くリアリティがなくてなんとも言えない嫌な気分になった。NHKの番組でみたとおり周りが植物に囲まれてる場所ほど数値が上がってた。人間の心理は怖いもので、10μSv/hだったのが4μSv/hとかに下がって少し安心したり(T_T)。全然安全な数値じゃないんだけどね。飯舘村が20年後までに森林まで除染するなんてニュースをみたけど、あんなところどうやって除染するんだろう。木を全部切り倒す?でもその木はどこに持って行くのか。そもそも車内であれだけの数値になる場所、作業する人が危ない気が・・・。 飯舘村の住宅地に出てからは数値は2μSv/h〜4μSv/h台くらいに安定。でもこれも車内で、ですからね・・・全村民避難で誰もいないので、2台くらい巡回の車を目撃した。この高線量のなか、毎日一晩中巡回するのか・・・。そしてなんとか無事、南相馬市の友達の住む家に到着。そこは山間で南相馬市の中でも比較的線量は高い。実際部屋の中で0.4μSv/h〜0.5μSv/hありました。その家も元々の住人は避難してて、空き家をボランティアの人に提供しているとのこと。ネットの情報でチェルノブイリでは0.4μSv/hの村は廃村・・・なんて記事を目にしたが・・・。避難してる人もいるとはいえ、友達含めまだそこに普通に人が住んでますからね(T_T)。その日は夜も遅く疲れきっていたのですぐに寝ました。 日曜日は起床後、まず社会福祉協会かなんかでボランティアの手続き。南相馬市はもう単発のボランティアとかはあんまりやる事ないみたいなんだけど、施設の人が登録だけでもしていってください、と言うので。ちなみに登録だけすればボランティア保険が効くので、したほうがいいみたいです。その後は仮設住宅の集会場へ友達を送っていって、お昼まで南相馬市を探索する。20km圏内の検問や沿岸部などに立ち寄ってみる。まず、イメージと違ったのは、検問している場所でも拍子抜けするほど空間線量が低い。若干高いのかもしれないけど高円寺と大して変わらない数値だった(素人が中国産のガイガーカウンターを使用しての感想なので話半分に思っといてください)。沿岸部近くは全体的に低かった。0.1前後。検問してる警官とか大丈夫なの?って思ってたけどまぁ大丈夫そうです。近くのコンビニも普通に営業してて検問の警官が買い物してた。群馬県警だった。ただし検問抜けて6号を南下すると原発見えるくらいの場所も通るので、その辺は凄まじく高いみたいです。 あとは津波の被害地などに立ち寄って散歩に来てた避難所で暮らす91歳のおじいさんと立ち話したり。そして仮設住宅の集会場で軽作業など。集会場では東京から来たヨガの先生が周辺のお母さんたちにヨガを教えてたみたいです。 原発20km圏内への立ち入り禁止の検問。 壊れた堤防で。 福島第一原発30km圏内の瓦礫。表面上は少し高いくらいの値だったが・・・。 仮設住宅前で。被ってるのは南相馬市復興支援ボランティアキャップ(笑)。 そうこうしてるうちに早々に帰る時間になったので、友達に原ノ町駅まで送ってもらいました。原ノ町駅からはバスで福島市へ。福島市へ行くにはどうしても山を越えなきゃいけないので、たぶんまた線量高めだったと思います。たぶん霊山町という場所を通ったと思うけど、あとでネットで調べたら飯舘村よりは放射線量は低くて人も普通に住んでる。もちろん、低いといっても1μSv/hとか2μSv/hで十分高いんだけど・・・。そんな感じで福島駅からバスで帰ってきました。福島市や途中の郡山は山の中の高線量がウソみたいに平穏そのもので全く日常の風景だった。しかし福島市も郡山市も放射能汚染は決して軽微なものではない。これは本当に復興なのか?もちろん福島や郡山からいますぐ全市民を避難させろと言うつもりはない。しかし本当に安全なのかは誰にもわからない。誰にもわからないまま、復興の名の下に変わらない日常は続き、放射能が降り注いだ場所で平気で駅伝が開催されたりする。福島は危険だと言う事は果たして差別や風評被害なのか?復興の邪魔になることなのか?じゃぁ安全だという根拠はなに?正解は誰にもわからないけど、少なくとも現時点でわからなければ、政府はできるだけ最悪の事態を想定して避難の保証や食品の検査を行なうのが筋じゃないのか? 東京に戻って、震災前と全く何も変わらない日常の風景と、福島の山道でウソみたいにガイガーカウンターの数値だけが冷徹に上がり続けたギャップに、しばらく何もやる気が起きなかった。 #
by yoakenoban_2
| 2011-11-20 13:54
2011年 07月 21日
Twitterばかりで全然更新してませんでしたが、先週末の3連休を利用して津波の被災地へ行ってきたので覚書として久しぶりに更新。ずっとボランティアに行きたいとは思ってて、あとはやはりこの目で被災地を見たいとも思ってて、でも5月のゴールデンウィークはボランティアが過剰になるとか渋滞して復興の邪魔になるとか色々そういう話もあったので止めておいて(実際はまだまだボランティアが足りないなんて話しもあった)、その後はまとまった休みがなかったのでようやく先週の3連休で行くことが出来た。 今回、ボランティアに行くという話しを友人としていて、その中で被災地で夏物の衣料が不足しているという話になり、じゃぁみんなでお金を出し合ってTシャツを届けようという事になった。さっそく新品のTシャツを100枚業者に注文して、当初は少人数での話しだったけど、Twitterで友人知人にカンパを募集したら、多くの人からカンパして貰って無理のない金額でTシャツを購入することが出来ました。本当に感謝。 物資の届け先については、各被災地に積極的な支援を行なっているSLANGのKOさんに問い合わせて、各所で物資を集めて配っている方のお宅を紹介して頂きました。人脈をフルに活かしたKOさんの支援活動は行政の行き届かない所に個人だからこそ出来る支援を行なっていて本当に凄い。 金曜の夜に仙台入りし、土曜の早朝に地元の友達と東京から夜行バスで来て早朝に仙台についた2人を拾って、合計4人で大きく報道された被災地のひとつ、宮城県の南三陸町に向けて出発。南三陸町は人口約18000人の小さな町で、死者・行方不明者1200人という大きな被害が出た場所。 仙台から車で約2時間半ほど走り、高速のICを降りるとすぐに南三陸町。沿岸部が近づくにつれ、瓦礫や潰れた車、流されてきた船などが目立ち始め、いよいよ被災地に入った実感が沸きます。 震災から四ヶ月がたって、福島の原発周辺以外はなんとなく復興に向けて進んでる気になっていたけど、いや、進んではいるんだろうけど、あまりにも気軽にそんなことは言えない状態で、テレビや写真で何度も見た筈の光景は、テレビ越しよりも遥かに大きな衝撃を持って自分の目に飛び込んできた。 この光景が何に見えるかって、よく言われることだけど、本当に空襲を受けて焼け野原になった街のようだった。地元の友人曰くこれでも瓦礫はだいぶ片付いたと言ってたけど、自分の目に映るのは瓦礫ばかり。友人は魚竜館がめちゃくちゃになっていたことにショックを受けていた。 南三陸町の仮町舎と隣接するボランティアセンターで2人を降ろして、自分ともう一人はTシャツを届けに届け先の個人宅に。そこで聴いたお話。津波で家が流されず残った人は例え職場が流されていても町からの支援は現在は一切無し。町に届けられた救援物資も義捐金も貰えない。そんな人たちにはこういった個人からの支援が頼りだとか。行政を当てにできないので、個人から支援物資を届けてもらい、その地区の人たちで分け合っているとのこと。無事物資を届け終え、再びボランティアセンターへ。ボランティアセンターの周辺には全国各地からボランティアに来ている人たちがテントを張っていた。隣にある体育館のような大きな建物は、震災直後は避難所兼遺体安置所として使われていたということ・・・。午後までボランティアをして、本日のミッション終了。 ボランティアの帰り、大きな被害を受けた石巻市にも立ち寄った。やはり、唖然とする光景が広がっていた。よく、被災地を見た人、また被災者自身も、実際に被災地を自分の目で見たほうがいい、と話すのを目にする。やはり自分もそう感じた。一体この国で何が起こったのか、どんなことになったのか、この日みた光景は一生忘れないと思う。もちろん観光気分だけで来られちゃ被災者も迷惑だろうけど、見れる人は、見に行ったほうがいいと思います。その時に、一緒にボランティアをやったり物資を届けたりすれば、尚いいんじゃないかな。 本当にひどい有様で、岩手県から福島県まで、沿岸部はずーっとこんな状態が続いているかと思うと、改めて被害の大きさに寒気がする思いだった。その日は仙台の実家に帰り、翌日は東松島市へ。東松島市では日曜ということもあり多くのボランティアの方が活動していました。自分も泥だし作業に参加。炎天下の中、個人宅の庭の泥だし作業。一見普通に見える町並みも、よく見るとガードレールやフェンスは曲がっており泥だらけの家財道具を外に出している家が何件も。電車もつい先日復旧したばかりだとか。 今回、たった2日間だけだけど、被災地をこの目で見て、そして本当に自己満足にも達しないレベルだけど微力ながら何がしかの援助ができた経験は、自分にとっては良かったと思う。震災から4ヶ月が過ぎ、まだこれだけの復旧?もうここまでの復旧?わからないけど、確実にまだまだ支援は必要だということ。ボランティア需要も徐々に減りつつあるという話だけど、とにかく瓦礫の撤去がまだまだ進んでいないように見える。そういった場所は、瓦礫を撤去してから、またボランティアの力が必要になってくるんじゃなかろうか。いったい自分に何ができるのか?小銭を募金するくらいしかできないかもしれないけど、色々考えることはありそうです。 #
by yoakenoban_2
| 2011-07-21 23:39
2011年 04月 24日
みちのくonline 現代ハードコアの伝道師、みちのくさんがディストロを開始しました。氏の趣味が丸出しの品揃えは、日本ではあまり扱いがなかったり、一部でしか知られていなかったりなどの音源が山盛りで、気になってたあのバンドや未知のバンドまで様々。ハードコアという音楽が音楽的にも意味的にも様々な形態を成して広がりを見せることとは裏腹に、ここ日本ではハードコアを扱うメディアは皆無、CDショップも次々と姿を消していく中で、ダイ・ハードなディガーによるディストロは本当に貴重。例えばBOYがアンダーグラウンドなメタルに光を当てることによって新たなマーケットを開拓したように、みちのくonlineが新たなマーケットを築く日も近い。かもしれない。このブログを見てる人はみちのくさんのとこも知ってる人多いと思いますが、まだ知らない人のために。でも久々、ハードコアの音源をどれを買おうかな~と楽しみながらチョイスする感覚がありました。 んで、先日は来日中のオーストリアのRUIDOSA INMUNDICIA観にいってきました。来日前から音源話題になってましたね。女性ボーカル版LOS CRUDOSと言えそうな(安易な表現だけど笑)息も付かせぬレイジング・ハードコアの応酬でアッという間にライブ終了!アンコール3曲やるもそれもアッという間。こういうハードコアはやっぱり問答無用で好きです。初見だった若手のTHINK AGAINも凄くかっこよかった。CD買おう。 若手と言えば、前からだけどハードコアのライブに本当に若いお客さんがいない。自分が19、20歳の頃は、同じくらいの年齢の客はたくさんいたし、メロコア・ブーム、コア系ブームの影響もあって、そこからハードコアシーンにたどり着いたキッズもたくさんいた(そう考えるとこれはブームのいい側面ですな)。その頃から10何年かたって、バンドも客もそのままスライドして年を取っていったような・・・。若手のバンドと言われる人たちも、たぶん多くが精々20代半ばくらいなんじゃなかろうか?19、20歳の若手バンドってあまり聞かないような・・・勿論やってるところではやってるんだろうけど。でも今の状況だと、入り口になるブームもないし、ハードコアを知りえるメディアも少ないし、ただでさえ若い人は音楽聴かないCD買わないって言われてるのに、例えば高校生がどうやってハードコアという音楽と出会えばいいのだろうか?自分があと10年後もライブハウスに行ったりしてるかはわかりませんが、そのときシーンはどうなっているだろう? #
by yoakenoban_2
| 2011-04-24 23:41
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